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8 月 27

お盆に湯布院に行ってきました。

いきなり写真です。

田園

宿泊した旅館がちょうど山の中腹から突き出るように建っていましたから、麓に広がる街や田圃が一望できました。

「こんな光景長いこと見なかったな…」

と思いました。今思うと、ではおまえは昔はこんな田園風景に囲まれて過ごしていたのかと自分に突っ込みたくなります。今も昔も私はこんな風景の中で過ごしたことはありません。でも、何故か懐かしさを感じます。ああ、もしかしたら…と思いました。

お婆ちゃんは、私によく野良仕事の辛さを語って聞かせてくれました。目を震わせながら、情感たっぷりに語るものだから、子供心にお百姓さんは世界一大変なんだなぁ、と思いました。お婆ちゃんは野良仕事は中腰で長時間作業するから、とうとう背筋が曲ったままになってしまったと言っていました。確かにおばあちゃんの背中はくの字に曲がっていました。私はお婆ちゃんの背中をこんなにしてしまった野良仕事を何故か強く憎んだものです。

しかし、この風景の美しさや、澄み渡った空の色や、田園を吹き抜けていくやさしい風は、人間の個人的な体験とは全く関係ありません。モノや景色は常にあるがままの姿をそこに晒しています。そこにそれ以上のものが見て取れるなら、それはその人が後から勝手に意味づけしたものです。

人間は脳に記憶を蓄えていくのではなく、周囲の環境やモノもセットで有機的に記憶を形成してくそうです。そう言われてみれば確かに、記憶自体は単なるビデオテープ(とは今は言わないか。DVDとかBlue-ray)に過ぎません。例えば私が見ず知らずの赤の他人の脳内映像を見れたとしても、そこに何も読み取れないでしょう。ただ記憶をやり取りするだけでは、そこにあった(はずの)何か肝心なものが欠落してしまいます。人の頭に詰まっているのは単なる記憶映像ではないということです。

私のお婆ちゃんがこの風景を直に見たら、私とまったく逆の感想を抱くかもしれません。野良仕事は二度としたくない!と豪語してましたから。お婆ちゃんは、この盆地一面に広がる田園をみて、そこに働く人の苦労や、自分の過去の辛い体験を読み取ってしまうでしょう。しかし、そんなことは私には分かりません。

私の頭にはそんなクオリアはありませんから。

yamano1

宿泊した旅館です。
古いものを大切にしている良い宿でした。

dice

written by dice